うろ覚え10年前のあの日。

あのころ、5時に目覚まし代わりのFM大阪をタイマーでかけていて、
寝ぼけながらベッドの中で朝からテンションの高いDJが喋っているのを聞いていました。
ゆれだした時はちょうど音楽がかかっているところで、普通なら一曲かかれば喋りが入ってくるのに、いつまでも音楽が流れていました。
今まで経験したことがない大きさの揺れ。
しかし幸いながら、私のうちは震度4程度だったので
のんきに「地学図表」を取り出してp波だのs波だののグラフを眺めていました。


「おはようパーソナリティ道上洋三です」をいつもどおり聞きながら朝ごはんを食べ、いつもどおり家を出ました。
神戸が震源地だと、報道していました。
でもそれよりも大事だったのは、センターリサーチでした。
電車はいつもどおり動いていました。
でも、学校に着くと、いつもよりも人が少ない。櫛の歯が抜けたようでした。
私が使っていた電車(大半の人が利用していた)は動いていたけれど、そのほかの路線はすべて止まっていることを知ったのは、普段なら授業が始まるぐらいの時間でした。
確か、バスも止まっていたように思います。
先生も現れず、誰かが持っていたラジオにみんなが群がっていました。
それがクラス内唯一の情報源でした。
時間とともに神戸の被害状況が大きくなっていくことに、これはただ事ではない、とようやく理解しました。


「灘や神戸女学院の奴らがリサーチ受けへんかったら、平均点下がるかなぁ」と男子の誰かが言いました。
もちろん冗談でしょうけど、迎合して笑ってしまった自分が今でも恥ずかしく、そして、許せません。