過去日記なのですが、劇というものについて。

そして、↑「本」の感想でもないのですが、小劇場での演劇を見てきました。
観劇を愛する友人をお誘いさせていただきましたが*1、ちょっとビミョウだったようで申し訳なかったです。


私にとっては小劇場演劇=昔大学の友人にチケット買わされて(ごめん!)見に行った学生演劇=中央に仁王立ちの登場人物が内面をつきつめていく語りを叫ぶ=とりあえず深読み上等?と信じて後で反芻する
そんなイメージの存在で、それってたぶん彼女の愛する演劇とは若干隔たっているものなのでした。


ひとことでいうと、
「京都的」
だったのです。
学生の町ですものね。


ごはんを食べながらお話しをし、観劇後に歩きながら*2お話をし、お茶をしながらお話をし、最後には出演者であるところの別の友人ともお話をして、わかったことはひとつ。
私は、わりとどんな創作物でも、目の前で何らかのプロフェッショナルが提示してくれているのであれば、愛することができるような気がするのです。
難解な方向へ走る演劇を知り合いの欲目というかバイアスで見ていたというのもあるかもしれませんが、わからないものを総体として、あるいはパーツごとに分解して、わからないなりに楽しむ、自分なりの切り口を見出す、そういうやり方で物事と向かい合っていければ、と思います。
理系オンナな私のばあいは、やはり各部分の要素を還元的に楽しんでいました。
最終的なストーリーの帰結が見つけられなくても、重ねられ続けられていく言葉(遊びのような、駄洒落のような)の流れを切り取り受け取って、あはは、と笑えた瞬間は確かにあったのです。


欲を言えば、フライヤーの前文にあったようなストーリーをもう少し見ていたかった。それはシリアスで笑いのない展開になるのかもしれませんが、その文章が好きだったのでつい期待してしまったのでしょうね。



最後に。
普段の姿の友人が普段の顔で普段の声で、演技をしているのを見るのがなんだかとても恥ずかしかったです。
全く違う何かを演じている方が冷静に見られるのはなぜなのかしらん。
ともあれ、俳優さんは、すごいですね。異能、という言葉を頭の中に浮かべていました。



あと私信。
演劇をしないで見る専門、という人はとても貴重でありがたい存在だそうです。
小演劇は見る人とやる人が一致しすぎているのだそうですね。それすら私は知らなかったわけなのですが。
なので、客席側のみの演劇論というのは(見たとしても発信しない人の方がずっと多いはずなので)
実はかなり大事にされてしかるべきなのではないかと思います。
というわけで今後も悩みは多いかと思いますが、どしどしアウトプットされていかれることを望みます。(一方的に)
もちろんウェブ上に残さなくっても、居酒屋で語っても良いわけですよ。
また語りましょう!!

*1:たぶん、それほど彼女の好みでないであろうことはうすうす分かっていたのです

*2:私は隣にいる人に垂れ流しで感想を語る傾向があると反省した!!すみませんでした