だんだん子どもの視点を忘れかけている

いじめのニュースや、それについてのブログ、テキストなどを読みあさっていて気付いたのは、もう完全に親の視点で物事を見てしまうのだと言うこと。


こういう風に自分がいじめられていた、という記述を見ると自分の昔に重ねあわせてつらくなるけれど、所詮は通り過ぎてこられた過去のことだから。
記述する人も、そこへ吐き出すことで少しでも楽になっているといいと思います。
そして、自分自身としては、小中高と比較的おっとりした学校ですごせたこと、小学校高学年からは「お勉強のできる」子として周囲に認識された*1こと、図書室という居場所があったこと、趣味の合う友達に出会えたこと。
これらの幸運全てに対する感謝を忘れずにいたい。
必要なときには、子どもの目線にあわせられるように意識をしていこうと思います。


実際のところ、自分の内面への旅よりも、我が家の保育園児がお友達に蹴られて泣かされたりしないか、ということの方が今の私にとって大事なのです。
ちょっと乱暴な子にどうやって「不快」であることを伝えさせればいいのか、あるいは親からどうやって(その子にorその子の親にor担任のセンセに)伝えるのか、とても難しい。
周囲に同じ年頃の子どもはいても親同士の横のつながり*2はほとんどない保育園でのことだからなおさらです。
今後もこの手の悩みや心配はつきることなく拡大再生産されるのでしょうね。


そりゃ、子育て雑誌(小学生の親向け)も売れると言うものですよ。
http://www.be.asahi.com/20061111/W13/20061106TBEH0001A.html
コンセプトは悪くないのですが、プレジデントも日経もアエラもなんていうか…snobbyなんですよね…。
(実は立ち読みしたりしています)
これを定期購読するのはいろんな意味でつらいデス…。

*1:その為の(中学受験を目的とした)塾に通わせてもらえたこと

*2:職場が同じ、家が近く、などの属性はあるけれど私はそのどれにもあてはまらないのです